僕が本を読む動機は【楽しいから】と【仕事で必要だから】が半々くらいです。「根っからの読書好き」というタイプではないので、時には自分を読書に向かわせる工夫が必要になります。ここではそんな「読書の工夫」を思いつくままに挙げていきます。初回は【かさねる読書】です。
〖 文字(本)+ 映像・絵(映画・マンガ)〗
「〇〇について理解を深めたいけれど、難しそうだな。とっつきにくいな」というとき、僕は映画やマンガを活用します。映画やマンガの優れた点は、視覚情報が与えられるので具体的にイメージしやすいこと、また、—良作であればー心を動かされるので、対象についての興味が喚起されることです。「興味」の大切さは、日々の授業で痛感するところで、文章の内容やこちらの話に興味をもち、前のめりになっている生徒は半年後でもその内容を覚えていますが、逆に「興味無いです」という顔の生徒は、1週間後にはほぼ丸々忘れています(→どうやって生徒の興味・関心を喚起するかが、ぼくの授業のテーマの1つです)。
あるテーマについて、基礎知識が無い状態で文字情報だけ取り入れても理解が難しく、記憶にも残りにくいのですが、はじめに映像的なイメージがあると、そこに文字情報を貼り付けていくような感じで、理解を深めることができます。文字情報と(映像・絵などの)視覚情報を重ねていくイメージですね。以下、そんな【かさねる読書】の実践例を示します。
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〖テーマ〗「ドイツ現代思想」
→昨年(2021年)の早稲田大学入試でドイツ現代思想に関する文章が出題され「もっと理解を深めなくては」と思ったのが学びの動機です。下の画像をご覧ください。上段が〖読んだ本〗で、下段が〖観た映画〗(左の2作品は最近、右の3作品は1年以上前に観たもの)です。
本は『フランクフルト学派』→『戦後ドイツ』→『現代ドイツ思想講義』の順で読みました。仲正先生の『〇〇講義』のシリーズは、他にいくつか読んだことがありますが、想定している読者のレベルがやや高く分量も多いので『フランクフルト学派』と『戦後ドイツ』で基礎知識を固めてから挑戦するという作戦です。ただし、この2冊も、初学者向けとはいえ専門家が書いた(良い意味で)堅い本なので、映画を見て具体的にイメージしながら読み進めます。
映画として1番面白かったのは『帰ってきたヒトラー』でしたが、本の理解という意味では『顔のないヒトラーたち』が最も役立ちました。この作品で描かれていた戦後ドイツの様相は、『戦後ドイツ』p.122の記述そのものでした。下に示します。
(アウシュヴィッツ裁判の)被告人たちが戦後は「カタギの」職につき、誰からも好かれるごく普通の善良な市民として家族、友人、同僚たちのなかで暮らしてきた事実は、「人あたりの良さ」とか「品のいい物腰」とか「物分かりの良さ」というものが、いかなる防波堤でもないことを思い知らせた。むしろ、そうしたものは、社会的適応の産物でしかなく、そのつど強い方につくという権威主義的パーソナリティの現われ以外のなにものでもないのではないかとすら思わせた。
三島憲一『戦後ドイツ』p.122
漠然と、ドイツでは戦後すぐに戦時の行為を反省する動きがあったのだと思っていたのですが、そうした動きが本格化したのは1960年代だったようです。『顔のないヒトラーたち』からは、1950年代後半から60年代前半のドイツのそうした「雰囲気」がよく伝わってきました。
『オデュッセイア物語(上)』『オデュッセイア物語(下)』は、当初は読むつもりはなかったのですが、『現代ドイツ思想講義』の中で紹介されており、アドルノ&ホルクハイマーの思想(=理性は野蛮につながっている)の理解につながりそうだったので読みました。ドイツ現代思想とは関係ないですが、オデュッセウスが怪物を倒すシーンが『古事記』と似ていたり、魔女キルケ―の能力が『高野聖』の女と似ていたりと、いろいろと日本の話との類似点があって面白かったです。思わぬ広がり、つながりを見せてくれるのが読書の楽しみの1つですね。