筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる 陽成院
【訳】筑波山の峰から落ちる男女川(みなのがわ)の水が、積もり積もって淵となるように、私の恋心も深く積もるばかりだよ。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ 崇徳院
【訳】川の流れが速いために岩にせきとめられる滝川が、分かれてもまた一つになるように、別れてもまたいつか一緒になりたいと思う。
「筑波嶺の」の歌は、「嶺」や「峰」から落ちる水の激しさや、「淵」の暗く淀んだイメージを喚起し、陽成院の恋心の激しさや、思いがかなわぬことへの鬱屈とした心情を感じさせます。
「瀬をはやみ」の歌は、高校古文の「形容詞の語幹用法」の説明で例文としてよく用いられます。「はや」は形容詞「はやし」の「語幹(=活用しても変化しない部分)」であり、「語幹+み」で、「理由(~ので)」を表します。「瀬」は「流れ」なので、「瀬をはやみ」は「流れがはやいので」と訳します。
どちらも百人一首の恋の歌ですが、川遊びをしたことがないと「淵」「瀬」のイメージが湧きづらいのではないでしょうか……。ということで、山梨県北杜市の尾白川渓谷に行ってきました。
とにかく水が綺麗。水道水と見紛うほどに透明で、逆に不自然な感じがします。普段遊んでいる浅川と比べると雲泥の差、月とすっぽん、提灯に釣鐘ですね。川を上っていくと、美しいエメラルドグリーンの水を湛える「淵」に辿りつきます。
大学生のとき、何かの授業(おそらくフランス思想)で「悪臭の発見」という話を聞いたことがあります。18世紀、パリはまだ下水道が整備されておらず、現代の基準からすると大変劣悪な衛生環境でした。至る所に排泄物が散乱し、大変な臭気を放っていたというのです。関連する記事を引用します。
19世紀の後半になるまで、パリの住宅には十分な設備のトイレがありませんでした。あってもくみ取り式で清掃は全くされず、その臭いはアパルトマン全体に沁みわたっていました。たまに汲み取り業者がやってきて、トイレの汚物を専用の壺に入れて馬車に積み込み郊外の廃棄場へと持っていきましたが、移動中に壺から中身がこぼれ、パリの石畳を汚しました。住居にトイレがない場合は「何もかも路上へ!」方式が採用されました。つまり汚物を直接窓から外へ放り投げたのです。パリの通りはおぞましいトイレの底と化し、窓からの贈り物にぶつかる不運な被害者が後を絶ちませんでした。
パリ観光サイト「パリラマ」https://paris-rama.com/top.htm
今の感覚からすると耐えがたい環境ですが、当時の人にとってはそれが日常ですから、臭いという意識はなかったことでしょう。上下水道が整備され、悪臭がなくなったことで、「自分たちは臭かった」ということに気づいたのです。
尾白川に話を戻すと、北杜市は「サントリー南アルプス天然水」の採水地の一つらしく、岩にぶつかった水しぶきや、子どもがかけてくる水が口に入っても「美味しく」感じます。そして、その時初めて気づきました。
浅川の水、臭かったんだ……
浅川版「悪臭の発見」です(それでも30年前に比べると格段に改善されているようですが)。