2023年の大学入学共通テストで正岡子規に関する文章が出題されました。
寝返りさえ自らままならなかった子規にとっては、室内にさまざまなものを置き、それをながめることが楽しみだった。そして、ガラス障子のむこうに見える庭の植物や空を見ることが慰めだった。味覚のほかは視覚こそが子規の自身の存在を確認する感覚だった。
柏木博『視覚の生命力―イメージの復権』
僕はこの問題を解く少し前に、たまたまNHKドラマ「坂の上の雲」を観ていました。この作品は、明治期に俳句革新や短歌革新を進めた正岡子規、日露戦争でコサック騎兵を破った秋山好古、日露戦争で連合艦隊作戦参謀として活躍した秋山真之という松山出身の3人の生涯を描いたものです。子規(香川照之)は、自由奔放で、情熱的で、人たらしな人物として大変魅力的に描かれており、上の文章を読んだときには、「あの子規が出てきた!」という感じで、心が前のめりになりました。そうなると、文章の意味がどんどん頭に入ってきます(逆に、つまらないと感じると、いくら読んでも理解が進みません)。興味と読解力は密接につながっています。
先日、子どもを連れて、猿島という無人島に遊びに行ったのですが、島に向かうフェリー乗り場の近くに戦艦「三笠」が展示されていました。三笠は日露戦争で秋山真之が乗っていた戦艦です。日本史にも軍事兵器にも疎い僕ですが、これは行くしかないでしょう。坂の上の雲効果です。
『戦国姫』シリーズが好きなせいか戦艦にも興味をもち一人でぐいぐい進む長女、戦艦には興味が無いけれど高い所に行きたくて階段をどんどん上る次女、とにかく自分が先頭じゃないと気が済まなくて泣きわめく三女という噛み合わせの悪い3人だったので、あまり落ち着いて見学できませんでしたが、とにかく現物を見ることができて良かったです。
後日、予備校の授業で太宰治『葉桜と魔笛』を扱いました。その中に次のシーンがあります。
どおん、どおん、と春の土の底の底から、まるで十万億土から響いて来るように、幽かな、けれども、おそろしく幅のひろい、まるで地獄の底で大きな大きな太鼓でも打ち鳴らしているような、おどろおどろした物音が、絶え間なく響いて来て、私には、その恐しい物音が、なんであるか、わからず、ほんとうにもう自分が狂ってしまったのではないか、と思い、そのまま、からだが凝結して立ちすくみ、突然わあっ! と大声が出て、立って居られずぺたんと草原に坐って、思い切って泣いてしまいました。
あとで知ったことでございますが、あの恐しい不思議な物音は、日本海大海戦、軍艦の大砲の音だったのでございます。東郷提督の命令一下で、露国のバルチック艦隊を一挙に撃滅なさるための、大激戦の最中だったのでございます。
太宰治『葉桜と魔笛』
この音も三笠の大砲の音なのかもしれません。入試とドラマと遊びと授業…、色々とつながります。