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予備校講師×子育て

ヴァーチャル→リアル

「森で木の枝を拾いたい」

 昨晩次女に突然言われたので、朝から府中市の公園へ行ってきました。「森」とは言えませんが、背の高い木がたくさん生えています(写真左)。到着するなり、嬉しそうに木の枝拾いを始める次女(写真中央)。なぜ急に木の枝に興味を持ったのか…。理由がわかったのは、切り株(写真右)を見つけた時の次女の発言でした。

 「あっ、作業台!」

 「切り株=作業台」。間違いなく「あつまれ動物の森」(NINTENDO SWITCH)の影響です(笑)。わが家では先々月ようやくスイッチを購入し、このところ長女と次女が「あつ森」にハマっています(僕のテントにはゴキブリが出ていますが、娘達が建てた家はずいぶん立派になりました)。ゲーム内では島で拾い集めた「木の枝」を材料として、切り株の「作業台」の上で様々な道具を作ります。それに影響されて、リアルの世界でも木の枝拾いをしたくなったのでしょう。ゲーム空間は現実空間を模した「ヴァーチャルリアリティー」の世界ですが、次女は「ゲーム空間→現実空間」という順序で木の枝拾いを体験しているわけですね。

 武蔵大学で次の文章が出題されたことがあります(2013年)。

 子どもにとっての「バーチャルリアリティー」とは、見かけは異なるが、彼らが生きる現実世界の本質部分を備えていて、同等の効果を発揮して子どもたちを包み込んでくれる世界ということになろう。子どもたちが、大人にもまして想像的世界に遊ぶ存在であり、そのゆえの架空の世界を必要とするならば、人工的に創出される「バーチャル」な世界も、そのような特質を備えていなければならない。子どもたちが、動物を捕まえたり、それらを飼育することを好むならば、創出される世界にも動物狩りや動物飼育の場が用意されていてしかるべきであろう。子どもたちを魅了した「ポケットモンスター」やペットの「飼育ゲーム」は、少なからぬ大人たちの顰蹙を買いはしたが、子どもの世界のある種の本質が捕捉されていて、それがコンピュータ・ゲームとして生成されていたという点で、子どもたちに「人工現実感」を体験させていたであろうことは疑うべくもない。 

本田和子『子ども100年のエポック』

 自然の中で遊ぶという経験の幾らかは「あつ森」でも体験できるということでしょう。続けて引用します。

 子どもたちが喜々として入り込んでいく「バーチャル」な世界に、もし、先行する大人世代が介入する余地があるとすれば、こうした現在の不備に対処すること、具体的には、「体性感覚の重視」とそのための「機会の提供」ということになろうか。

本田和子『子ども100年のエポック』

 子どもがバーチャルな世界に浸ることを一概に否定すべきではありませんが、その世界には、自分の手で触り、身体を通して実感するという経験が欠如しています。したがって、大人は「機会の提供」を意識しなくてはいけない。やはり実体験「も」大切だということですね。今度家でゴキブリが出たら、娘に退治させようと思います。