1月4日(火)。午前3:30に起床し「しぶんき座流星群」を見に行きました。流星群に興味をもったのは3年程前。当時5歳の長女が「リルリルフェアリル」という星の妖精(?)の本にハマっていたので「本物の流れ星を見に行こう」ということになり、父娘で山梨県の清里に1泊したのです。9歳になった長女が今でもその時のことをよく話すので、今回は長女と次女を連れて出かけました(仕事の関係で遠出&宿泊ができなかったので都内の公園です)。
センター試験で次のような文章が出題されたことがあります(2002年)。
ことばで語りだす世界の中身そのものが、この生身でいきる世界を離れては、根を失う。雪を肌に受けて震える身体、その下で冷たい冬を過ごす身体をぬきには、[yuki]はただの音声にすぎないし、「雪」の文字は意味不明の模様にすぎない。あるいは風の音を聞き、それが頬に触れる感触をもつ身体を離れては、[kaze]はただの無意味な音声以外のものではなく、「かぜ」はただの無意味な綴りでしかない。ことばはすべて、どこかで身体の世界に根ざしている。
浜田寿美男「『私』とは何か」
言葉は身体と結びついていますから、体験の豊かさと文章読解力には密接な関連があると思います。
都内の公園で周囲が明るかったせいか、今回は流れ星をほとんど見つけられませんでした(僕と長女は2つ、次女はゼロ)。「寒くて足が痛い」と繰り返していた次女は、40分眠気に耐えて頑張ったのに見つけられず残念そうでしたが、それでも行けて良かったと思っています。見えなかったという経験が見えたときの喜びを大きくしてくれますし、「寒くて足が痛い」というのも彼女にとっての大事な体験の1つです。